コスタリカ留学日記帳

留学団体AFSを通じて中米コスタリカに滞在している高校生のブログ。

書くこと① 実母とのコスタリカ旅行1

1ヶ月ぶりの更新です


ご無沙汰してしまいすみません


こんだけ時間を空けてしまったので書くことが山ほどありますので


タイトルのように番号で整理した上、ダラダラと長文で報告させていただきます


6月のブログ開始以来最もタイトルがダサくなっておりますが悪しからず



①は10月19~30日までのこと。


AFSという団体による1年間の留学生活の途中ながら、僕は日本の実母をコスタリカに招き


約2週間母とずっと行動を共にし、コスタリカのあちこちを回っておりました


体裁上の理由は24日にあった僕ら5年生の卒業パーティー(最高学年なので)に母を招待するためでしたが


まあ僕が今過ごしている環境、そこで感じること学ぶことを親と共有できるのはなんか素敵だなと思い連れてくることにしました



ただそのためにはAFSに申請書(AFSが所有しているフォーム)を書き、こっちのボランティアや事務所とも話をしなければいけませんでした


元々大して難しいことではないのですが、僕が申請を出すために母と連絡をとったのが2週間前などと大変動き出しが遅かったために妙なプレッシャーに押されての申請でした


ただ無事に手続きが終わったことにはほっとしました



母との時間は、19日~22日まではサンホセ以北(サンホセと、友人宅のアラフエラ州ナランホ)にとどまった後


パーティー前日の23に僕の住むペレス入り、24にパーティーで、翌日にまたサンホセに戻りました


その後26~29日は海の綺麗なManuel Antonio(マヌエルアントニオ)、それから自然の豊かな北部Monte Verde(モンテベルデ)、Arenal(アレナル)を回り


30日サンホセ、そして31に帰国して行きました



僕はこの一連の旅行で、なるべくホテルに泊まることは避けて友人宅に泊めさせてもらおうと思ってました


母が「そんなの悪いから」って言って半ば強引にホテル予約取られてたので1泊のみでしたが。


というのは、母に沢山ホームステイを、しかも違う家で沢山経験して欲しかったという思いがありました


ただでさえ日本と全く違う文化、雰囲気が流れてて、いるだけで刺激的だったことには違いないだろうけれども、


またその中でも家族、地域による生活習慣の些細な違いがあって、それを少しでも感じ取って楽しんでくれたらなと思ってました


まあ母は着いて数日でコスタリカをよく知らないからそんな細かい違いをわかるのは難しかっただろうなと思うけれども


それでもホームステイをするということに大きな意味があったということは確実だと思います


その国に住む人の家、家庭にはその国の文化、習慣を形作るものが全部詰まっています


だからあちこち観光するよりも、より強くコスタリカを感じることができたんじゃないかな


母にとってそうだといいなと願ってます


まあ友人やその家族にはさぞ迷惑に聞こえてるかも知れませんが...毎度一晩二晩と受け入れて頂けるファミリーには本当に感謝しています



それから、母を連れてきたことで初めて出来た体験


それは大真面目に翻訳をするということ


母はスペイン語を知るわけがないので、自分が訳した言葉一つひとつが全てであるということを思うと翻訳することの責任感の重さを強く身に感じました


自分ひとりで話す時より、こうやって翻訳してる時のほうが自分のスペイン語への責任が重くなる

なぜならそこに翻訳する相手という第三者がいるから


翻訳の難しさも知りました

直訳をするんじゃなくて、そのスペイン語の意味してることをしっかりと捉えて日本語の表現に直すこと


その逆も同じ


これをちゃんと正確に、瞬時にやらなきゃならない



母さんには、翻訳兼ガイドの息子がどう映ったのだろう

ちゃんと仕事できてたかな



続きます


=:O


16/11/2015

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